患者、スタッフ、クリニックが喜ぶ「待合室マーケティング」とはどんなもの?
中原氏の提唱する「待合室マーケティング」とは、同氏が学生時代に靴販売店でアルバイトをしていた時に出会った、消費者心理や行動の仕組みを分析して応用する「行動経済学」という手法がベースとなっています。
このマーケティング手法を待合室での医療物販に活用することで、患者の歯と口の健康に対するデンタルIQ(メディカルリテラシー)が向上。そのほかにも、スタッフと患者の信頼関係が深まったり、売り上げに貢献することによりスタッフのモチベーションが上がったりするなど、さまざまなメリットがあるといわれています。
自身のクリニックでも実際に待合室マーケティングを活用した物販を行っている中原氏に、患者、スタッフ、クリニックのそれぞれにどのようなメリットがあるのか、経営する戸塚駅前トリコ歯科を例に、詳しく解説してもらいました。
なお、ご存じのように、医療法では、病院・クリニックは営利を目的として開設することはできないとされています。そのため医療法人が物販を行う場合も、場所が病院・クリニックの建物内であり、患者への医療の提供や療養の向上を目的としていなければなりません。今回ご紹介する物販も、それが前提となっています。
もともとは歯科医院向けに生まれた方法ですが、現在では眼科や整形外科、小児科、内科、皮膚科など、幅広い医科のクリニックでも応用されているとのことですので、ぜひ参考にしてみてください。
【物販のメリット1】セルフケアグッズの販売を通じて、患者の予防歯科への理解を高める
中原氏は、待合室は「情報発信の場」だと断言します。待合室マーケティングを応用した物販では、歯磨剤や歯ブラシ、デンタルフロスなどセルフケアグッズの掲示物やモニター、物販ディスプレイなどを活用し、積極的に予防歯科に関する情報を発信しているのが一つの特徴です。
「最近は院内に物を置かず、すっきりと見せたいクリニックさんも多いと思いますが、当院の場合は逆で、掲示物やモニターなどを多く設置して、セルフケアに関する新しい情報をどんどん伝えるようにしています。患者さんは待合室にいる時間はただ待っているか、スマホをのぞいているということがほとんどですので、せっかくなら待合室でウィンドウショッピングでもするかのような感覚で、僕らが診療で伝えきれない知識や情報を少しでも多く持って帰ってもらうようにしています」
数ヵ月に1度のメインテナンスと違い、セルフケアは365日、毎日行うもの。口腔の健康は全身の健康にもつながるため、物販を通じて虫歯や歯周病の予防につなげるとともに、口の状態を改善することの大切さを伝えることで、患者のデンタルIQ(メディカルリテラシー)を高めるというメリットがあると中原氏は言います。
「例えば当院では、歯間ブラシの物販スペースを広げて、サイズや種類を豊富にそろえています。歯間ブラシは色で選んでいる患者さんが多いのですが、実際は色ではなく、自分に合ったサイズや形があり、合っていなければ効率的なケアができないのです。ほとんどの方がそういった基本的な知識をご存知ないので、さまざまなサイズや種類をディスプレイすることによって、そうした知識を伝えているのです」
2022年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2022(骨太の方針)」では、「生涯を通じた歯科健診(いわゆる国民皆歯科健診)の具体的な検討」の文言が記載され、予防的な指導やケアへの関心が高まっています。
また、団塊の世代が後期高齢者(75歳)になることによって、雇用や医療、福祉などの分野にさまざまな問題が生じるとされる「2025年問題」。その対策として、「地域包括ケアシステム」の構築が進んでいますが、その中でもやはり予防が重視されています。さらには、国は2017年に「セルフメディケーション税制(特定の医薬品購入額の所得控除制度)」を導入し、健康の保持増進および疾病の予防への取り組みを行うよう推奨しています。そのため、クリニックにおいても今後はさらに、セルフケアグッズの物販ニーズは高まるのではないかと中原氏は予測します。
【物販のメリット2】スタッフのやる気が向上し、離職率の低下につながる
もう一つのメリットは、スタッフのやる気の向上です。物販を行う際に、アイデアを募ったり、グッズの選定や陳列、POPの作成を任せたりと、スタッフに協力してもらうことで、モチベーションの向上につながるというのが中原氏の考え方です。
「通常の受付業務や治療補助以外に『物販』という新たな役割が生まれます。通常は新しいことは嫌われがちですが、物販を通じて自身のアイデアが採用され、患者さんに興味を持ってもらえることで、専門の資格の所有を問わず、すべてのスタッフが平等に売り上げに貢献することができます。誰でも取り組みを認められたらうれしいですから、その結果、やりがいにつながるのではないかと思います。
さらに、自院が医療機関専売のアイテムを扱うことで、多くのスタッフは自らも使いたいと喜びます。当院の場合でも、現在2院合わせて30人在籍しているスタッフ全員が協力し合って、『オーダーメイドで処方する』という考えのもと、物販を行っています。みんなモチベーション高く、それぞれ自発的に昼休みや終業後の時間を使って新商品を試したり、メーカーの方を招いて勉強会をしたりして、セルフケアの知識の習得に励んでくれているので、ありがたいですね」
日本では、オーラルケア関連製品の市場規模は約4000億円ともいわれ、その種類も膨大です。現在、戸塚駅前トリコ歯科では180種類以上ものセルフケアグッズを取り扱っているため、スタッフたちは役割分担をし、それぞれ「推し」のメーカーや商品を担当。そうすることで、忙しい業務の合間でも効率的に商品の理解を深めているそうです。さらに、中原氏はこう続けます。
「商品のことをしっかり理解したスタッフが患者さん一人ひとりに合った商品をお勧めすることで、自然と患者さんとのコミュニケーションが深まり、信頼関係を築くことができていると感じます。
さらに、スタッフ同士の関係改善にも物販は役立つんですよ。診療室内の患者さんの感想については歯科衛生士が把握し、診療室の外、待合室での患者さんの感想については受付スタッフが把握していますから、その両者の声をグッズ選定や在庫数の管理に生かすことで、交流が生まれ、クリニックを活性化させることができています」
患者とだけでなく、スタッフ同士のコミュニケーションの活性化にも役立つ、待合室マーケティングの物販。医療法人社団栄昂会では、物販を始めてからスタッフの離職率が低下し、院内の雰囲気がとても良くなったそうです。
【物販のメリット3】新型コロナウイルス感染症拡大時のような不測の事態に備え、経営を支える収益の一つに
物販は粗利や単価も低いため、直接的な売り上げの貢献度は低いといわれています。しかし、多くのクリニックが大きな経営ダメージを受けた新型コロナウイルス感染拡大時のような不測の事態に備えて、保険収入や自由診療での収入に続いて、物販を収益の「第三の柱」として活用するべきだと中原氏は勧めます。
「クリニックは保険診療と自費診療の2つが収益の柱となりますが、どちらも患者さんに来院してもらい、診察など医療行為をすることで診療報酬を得ています。しかし、考えたくはありませんが、いつまた患者さんの通い控えのような不測の事態が訪れるやもしれません。それに備え、3つ目の収益の柱として物販を行っておくことは、安定した経営につながると私は考えます。また何より、患者さんが通い控えをした場合でも、セルフケアグッズを通じて患者さんに安心感を与え、治療や予防を継続できるのも大きなメリットです」
また、本稿の「メリット1」で、物販によって患者の予防意識が高まることを解説しましたが、実はそれと同時に、患者の自費診療へのハードルが下がると中原氏は言及します。
「過去に私が行った調査によれば、結果的に物販金額の上昇と比例するかたちで、自費診療の売り上げが伸びることがわかっています。例えば予防に重きを置くクリニックであれば、予防に関するグッズを充実させると、それが患者さんに興味を持ってもらうきっかけとなり、どんどんデンタルIQが向上するため、その後の治療や診察を通じて、自然と『欲しいな』という購買意欲につながりやすくなります」
前編では、待合室マーケティングを活用した物販がどのようなものなのか。また、患者の予防意識を高めたり、スタッフがモチベーション高く働けたりと、さまざまなメリットがあることをお伝えしました。
続く後編では、待合室マーケティングを取り入れる際に知っておきたいコツについて詳しく解説します。
<執筆者プロフィール>
安東 渉(あんどう・わたる)
フリーライター・編集者。編集プロダクションで雑誌や書籍の編集に携わる。現在は、執筆から編集、デザインまでを手がけるフリーランスの万能エディターとして活動中。ビジネスをはじめ医療、カルチャー、ファッション、スポーツなど、幅広いジャンルで情報発信を行う。