クリニックの理念とは?
理念とは、個人や企業が大切にする信念・価値観・目標・指針のことを指します。クリニックにおいても、理念は診療や運営の方向性を定める「道しるべ」のような存在です。
理念があることで、クリニックには以下のようなメリットが生まれます。
1. 診療・運営の方向性が明確になる
理念が明確であれば、クリニックがどのような医療をめざしているのか、どのような価値を提供したいのかがはっきりします。これにより、全スタッフが共通の目標を持ち、同じ方向を向いて行動できる基盤が整います。
2. 価値観に共感する人材が集まりやすい
理念に共感する人は、その理念を支える価値観にも自然と共感しやすく、採用のミスマッチを防ぐことができます。入職後も、理念を基準に育成や評価を行うことで、一貫性のある人材育成が可能になります。
3. チームワークの向上につながる
理念がスタッフ全体に浸透することで、働き方や判断基準に共通認識が生まれ、チームとしての連携がスムーズになります。結果として、提供する役務の質向上や、職場の雰囲気や業務効率の改善にもつながります。
4. クリニックの姿勢が患者に伝わる
理念に基づいた一貫した対応は、患者にとっても安心感につながります。複数のスタッフが関わる場面でも、ブレのない医療サービスを提供できるため、患者からの信頼を得やすくなり、クリニックの評判やリピート率の向上にも寄与します。
なぜ今、クリニックで「理念」が注目されるのか?
クリニックで「経営理念」が注目されている背景の一つには、医療業界を取り巻く環境の変化があります。
医療業界では、診療や技術が優先される中で、理念が後回しにされることも少なくありませんでしたが、採用や定着、ブランディングの課題が顕在化する中で、理念を見直す開業医が増えつつあります。
そして今、クリニック経営は、以下のようなリスクと常に隣り合わせの状況にあります。
1. 人口減少による患者数の減少
日本の人口は2020年の1億2,615万人から、2070年には8,700万人まで減少すると推計されています。また、高齢化も進み、2040年には65歳以上が全体の約35%を占める見込みです(※)。
著しい人口減少は、患者数の減少にも直結する深刻な課題です。
2. 競合増加による経営の圧迫
特に都市部では、人口に対してクリニックが過剰になりやすく、同じ診療科目のクリニックが密集すれば、患者の奪い合いが激化することも予測されます。
競合優位性が確立されていなければ、患者に選択されず、経営が圧迫されていくことに。最悪の場合、事業の継続に影響を及ぼす可能性も否定できません。
クリニックの継続的な運営には、収益が不可欠です。どれほど腕の良い医師であっても、患者が集まらなければクリニック経営は成り立ちゆかない――これは、現場を担う先生方ほど痛感されていることでしょう。
こうしたリスクを乗り越えるために、今注目されているのが「理念」なのです。
理念は、クリニックのブランディングを考える上で、核となり得る重要な要素のひとつです。クリニックにおけるブランディングとは、医療サービスにおいて「独自性ある価値」を明確化し、「このクリニックらしさ」として患者に認識してもらう戦略的活動のことです。
理念を軸にブランディングを進めることで、競合や患者、そして求職者に対して、次のようなメリットが期待できます。
■理念によって得られる主な3つのメリット
- 競合クリニックとの差別化が図れる
理念を軸に「このクリニックらしさ」を打ち出すことで、患者に選ばれる理由が明確になる
- 医療サービスの信頼性・権威性が伝わりやすくなる
理念に基づいた一貫した対応が、患者に安心感や専門性の高さを印象づけられる
- 求職者との価値観のミスマッチを防げる
採用時に理念を共有することで、クリニックの考え方に共感する人材を集めやすくなる
しかし理念の有用性が語られる一方で、現場では「本当に理念は必要なのか?」「どんな経営理念が効果的なのかわからない」といった、理事長や院長の戸惑いの声も聞かれます。
「クリニック理念の運用」でやってはいけないこと
クリニック経営では、日々の診療に加え、人材の確保・育成や集患対策など、やるべきことが山積みです。その中で、意外と見落とされがちなのが「理念」です。
実際には、理念がそもそも策定されていない、策定しても院長のみの理解にとどまりスタッフの意識が薄い、あるいは現場で活用されていない――そんなクリニックは意外と少なくありません。
このような背景を抱えたまま運営を続けてしまうと、次のような「やってはいけない行動」に陥りやすくなります。
■やってはいけない!失敗行動の例
1. 理念が浸透しておらず、スタッフに「腹落ち感」がない
2. 理念が現場の実態と結びつかず、「絵に描いた餅」になっている
3. 独自性が乏しく、自院の「ならでは感」を示せていない
これらの行動は、クリニックのブランディング効果を下げ、診療の方向性や運営の軸がぶれる原因にもなりかねません。
理念は、掲げるだけでなく、現場でどう生かすかが問われます。まずは院長がその重要性と効果を理解し、スタッフと共有しながら、日々の行動に落とし込めるよう運用することが求められます。
「そこまで意識していなかった」と感じる場合は、早めの見直しと意識改革が必要です。
次から、これらのNGな行動について具体的に見ていきましょう。
クリニックがやってはいけない「理念の運用」3つの失敗行動
理念が正しく運用されれば、クリニックの雰囲気や医療の質が向上し、スタッフの意識や患者の印象にも良い影響を及ぼすでしょう。しかしその一方で、理念の扱い方を誤ると、かえって信頼を損ねたり、組織の一体感を失ったりするリスクもあります。
ここからは、クリニックが「理念の運用法」で陥りやすいNGな行動を詳しく解説します。
1.理念が浸透しておらず、スタッフに「腹落ち感」がない
どんなに素晴らしい理念でも、スタッフが腹落ちしていなければ、日常業務に反映されず、やがて形骸化してしまいます。
例えば「質の高い医療」と掲げても、「質とは何か」「どう提供するか」がスタッフ一人ひとりにとって自分ごとになっていなければ、実践にはつながりません。
また、「理念を患者に伝えるのは院長だけで十分」と考える方もいるかもしれません。しかし実際には、理念は、院長の言葉だけでなく、患者と接するスタッフの言動を通じても伝わるものです。スタッフの行動が理念とずれていれば、クリニックの印象やサービスの一貫性に影響しかねません。
さらに、スタッフが理念を理解していないと、自分の行動の背景に納得感が持てず、院長の指示に不信感を抱いたり、モチベーションが下がったりすることもあります。結果として、信頼関係が築けず、職場への不満が離職につながるケースも少なくありません。
2.理念が現場の実態と結びつかず、「絵に描いた餅」になっている
理念が現場の実態と合っていない場合、スタッフはもちろん、患者からの信頼感にも影響を及ぼす可能性があります。例えば、以下のようなケースは注意が必要です。
- 「患者ファースト」と掲げながら、患者を長時間待たせる
- 「地域に貢献します」と言いつつ、地域の医療ニーズに応えていない
- 「先進の医療を提供」としながら、医療設備は旧式のまま
どの医師も、目の前の患者により良い医療を届けるために、日々努力を惜しまず向き合っています。
しかし、どれほど医療の腕が良くても、理念として掲げている内容と実態にギャップがあるように映ってしまうと、スタッフや患者に「このクリニックは本当に信頼できるの?」という不安を与えてしまいかねません。
3.独自性が乏しく、自院の「ならでは感」を示せていない
「地域に信頼されるクリニック」「患者さんを幸せにします」といった理念は、医療の本質を捉えた大切な言葉です。ただ、こうした普遍的な表現だけでは診療の方向性やクリニックの特性が十分に伝わらず、患者の印象にも残りにくいものです。
スタンスとしては重要でも、専門性や地域性など、独自性を打ち出せなければブランドとしての力は弱くなり、競合の中に埋もれてしまう可能性があります。
実際、近年のクリニックでは診療内容や医療設備、空間設計、地域との関わりなど、そのクリニックならではの“らしさ”を打ち出すことが重視されるようになっています。
「困ったことがあれば、○○クリニックに行こう」と想起してもらえるような理念でなければ患者の印象に残りにくく、「このクリニックに診てもらいたい」という意欲を生み出すことが難しくなります。
「クリニックの理念の運用」で失敗行動が発生する要因
理念の運用がうまくいかない背景には、クリニック特有の事情が考えられます。院長は医療の専門家であり、診療に追われる中で、つい経営や人事の学びが後回しになりがちです。
実際、クリニック未来ラボが全国の開業医を対象に調査した『開業医白書2024』(※)によると、開業準備において「経営に関する勉強が不足していた」「スタッフ教育の仕方がわからなかった」といった声が挙がっています。これは、開業医にとって経営に関する情報収集不足や人材マネジメントスキルの未習得が、理念運用の障壁になっている可能性を示唆しています。
さらに、開業医の約15%が「経営の相談相手がいない」と回答しており、理念を含む組織運営の悩みを共有できる支援が不足している実態も見て取れます。
理念は、採用・教育・評価に一貫性をもたらす経営の軸です。曖昧なままでは組織の方向性がぶれ、スタッフのモチベーションや定着率にも影響します。
だからこそ、理念を「経営に必要なツール」として捉える視点が欠かせません。
※出典:「開業医白書2024」:調査対象/全国の30~90代の医科の開業医500人、調査期間/2024年10月22日(火)~11月11日(月)、調査方法/インターネットでのパネル調査
「クリニック理念の運用」を成功に導く3つの秘訣
ここでは、クリニック理念を効果的に運用するための、3つのポイントを解説します。ぜひ参考にしてください。
1.自院「ならでは」の要素を取り入れる
理念を形だけのスローガンにしないためには、ストーリーや価値観など、「ならでは」の要素を盛り込むことが重要です。
聞こえの良い理想を並べるより、院長が実現したい医療の方向性や仕事への熱意を投影し、自信を持って伝えられる内容にすることに注力しましょう。
「どうしても一般的な表現になってしまう」という場合は、理念となる言葉の後に、日々の行動につながる基本的な「考え方」や「方針」を箇条書きで補うのも効果的です。
例えば、「地域に根差した、信頼される医療を提供します」という理念の場合、院長が考える「信頼される医療とは何か」を具体化すると、スタッフや患者にも伝わりやすくなります。
以下の例を参考にしてみてください。
- 地域の高齢者が安心して通えるよう、バリアフリー設計と丁寧な対応を心がけます
- 地域の学校・保育園・介護施設と連携し、健康支援や感染症対策に取り組みます
- 患者さま一人ひとりの背景に寄り添い、納得できる診療を提供します
- 急な体調不良にも対応できるよう、柔軟な診療体制を整えます
こうした「ならではの理念」は、スタッフの共感を得やすく、日々の業務の中での行動指針としても機能します。また、スタッフ募集の際にも理念に共感した人が集まりやすく、採用のミスマッチを防ぐ手立てにもなるでしょう。
2.スタッフ全員が理念を“自分ごと”にできるような工夫をする
理念がスタッフに浸透し、具体的な行動に結びつけば、日常業務に一貫性が生まれます。判断に迷ったときも「理念」が共通の指針となり、統一された医療サービスの提供につながります。
また、スタッフは仕事の意味や目的を理念の中に見い出すことで、「私にできることは何か」と考え、自分で行動する“自走”を促す力にもなるでしょう。
そのためには、理念を日常的に意識できる工夫が欠かせません。例えば以下のような取り組みが効果的です。
- スタッフルームやバックヤードへの掲示
- 朝礼やミーティングでの定期的な共有
- 理念に沿った行動を称賛・紹介する仕組み
- 評価制度や目標設定に理念を反映
- 理念に関する意見交換やワークショップの実施
これらは一般企業でもよく取り入れられている方法であり、クリニックでも十分に参考になる取り組みです。
理念が「掲げられた言葉」から「信じられる価値観」へと変わったとき、スタッフの行動や定着にも良い影響を与えるはずです。
3.理念をみんなで一緒に育てる
理念は一度決めたら終わりではなく、クリニックの成長や医療環境、スタッフ構成の変化に応じて柔軟に見直すことが大切です。
開業時に院長が定めた理念が、知らず知らずのうちに一方的なものになっていないか、院長交代や経営方針の転換、開業○周年といった節目のタイミングなどで振り返る機会を持つことが望ましいでしょう。
その際に欠かせないのが、現場の中心メンバーの声です。理念は掲げるだけでなく、対話を通じて育てていくものです。現場を良く知るリーダーや中核スタッフの経験や意見を反映することで、理念はより現実に即したものとなり、共感を得やすくなります。
理念の根本にある院長の想いや価値観を守りながら、時代や現場の変化に合わせて枝葉を伸ばしていく。そんな定期的な見直しとアップデートを通じて、組織とともに成長する理念をめざしましょう。
まとめ
クリニックの安定した運営をめざす上で、欠かせないのが「理念」です。経営の観点でも、人材マネジメントの観点でも、理念がいかに大きな影響を与えるか、改めて気づかれた方も多いのではないでしょうか。
院長が実現したい医療や大切な価値観を言語化し、それを上手に運用することが、クリニックの長期的な繁栄に結びつきます。
理念は策定して終わりではなく、日々の運営でスタッフと共有し、どう生かすかが大事です。現場に根づかせることで、組織の方向性がそろい、スタッフの行動にも一貫性が生まれるでしょう。
また、今回取り上げたクリニックの理念の運用法をはじめ、人材や組織に関する課題を抱えている場合は、一人で悩まず、専門家を頼ることもお勧めです。
クリニック向け総合サービスプラットフォーム「ドクターズ・ファイル」が提供する「人事の外来」サービスでは、人事(HR)の専門家から、人材採用や育成、評価、組織開発、スタッフとの信頼関係の構築などへのアドバイスが受けられます。
人事に関するお悩みやご相談がある方は、ぜひ一度、「人事の外来」へお問い合わせください。
<文・取材構成>
内藤 綾子(ないとう・あやこ)
ライター。生命保険企業に3年間勤務した後、編集プロダクションにてライターとしての活動を開始。雑誌、書籍、Webで、健康・医療分野およびHR・企業広告・妊娠・出産・育児・教育・生活分野などの企画・記事制作業務に携わる。