クリニックの理念を「絵に描いた餅」にしないための解決策《役に立つ!コミュニケーションのコツ》

クリニックの理念

近い将来、多くの仕事がAIに奪われるといわれています。しかし、患者や医師、スタッフの間でコミュニケーションがゼロになることはありません。医療接遇、スタッフ育成、組織づくりなどさまざまな場面で、むしろコミュニケーションという普遍的な営みを大切にすることこそ、クリニックの未来に向けた付加価値、温かな財産になるのではないでしょうか。

未来のクリニック経営に役立つ情報を独自に研究してお届けする「クリニック未来ラボ」編集部では、そのためのヒントとなるコラムをお届けします。

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多くのクリニックでは自院がめざす方向性を「理念」として掲げ、ウェブサイトに記載していることと思います。しかし、院長自らスタッフや患者に「言葉で語る」機会は案外少ないという方もいらっしゃるのではないでしょうか?

理念は事あるごとにスタッフに言葉で伝えて初めて、同じ目標に向けて一丸となって行動化し、良質な医療を提供することが可能となります。患者にとっては一体感のあるクリニックの雰囲気が安心感、信頼感をもたらし、「またここで診てもらおう」と思うきっかけの一つとなるでしょう。今回はプレゼンテーション研修の事例を見ながら、理念を語ることの重要性を確認していきましょう。

スタッフが理念を説明できないとき、スタッフだけに非があるとは限らない

クリニックの理念は診療方針のベースであり、どんな理想を持って診療に臨むかを端的に表したもの。多くのクリニックでは理念をウェブサイトに記載していますが、それだけでは不足です。院長はもちろんスタッフもその内容をよく理解し、それが行動にも表れなければ、理念が患者に伝わることはありません。 

以下は、「企業理念をいかに職場に浸透させるか」をテーマに、ある企業で管理職研修を実施した際の事例です。理念について語る機会が少なかったり、語る機会があっても要点がぼやけていたりすれば、理念はなかなか職場に浸透しません。これと似た状況はクリニックでも起こり得るので、事例に沿って理念浸透を阻害する要因を考えてみましょう。 

課長以上の管理職を対象に、企業理念を浸透させるための研修を行うことになりました。研修前には、「職場であなたの部下に企業理念を語ってもらってください。それを聞いてあなたがどう感じたか、研修で意見交換をします」という事前課題が出されました。研修で事前課題について発言を求められたA部長は、「部下は企業理念をうろ覚えで、うまく説明できませんでした。会社のウェブサイトにも書いてあるのに、忘れてしまうんですね」と答えました。

研修会の後半ではプレゼンテーション演習が行われました。テーマは「朝礼や会議などの場を想定し、あなたの言葉で部下に向けて企業理念を説明してください」。A部長は普段のエピソードを交え、流ちょうに理念を説明することができました。

この事例では、確かにうまく理念を語れなかった部下にも非がありますが、他人事のように捉えているA部長も問題です。大きく2つのポイントに分けて掘り下げてみたいと思います。

(1)上司がプレゼン上手でも、部下に話さなければ理念は浸透しない

A部長はプレゼンテーションに長けているのに、なぜその部下は理念をきちんと語れなかったのでしょうか? 答えは簡単で、A部長が普段から理念について語っていないから。上司が部下に向けて理念を語らなければ、部下の理念への意識は希薄にならざるを得ません。うまく伝えるスキルがあるならそれを生かし、日々言葉を変えながら部下に語る機会を増やすことが大切です。

また、「ウェブサイトに書いてあるからOK」という考え方も改めるべきです。わかりやすい例がキリスト教の聖書で、聖書をただ配るだけでは信者は増えません。毎週行われる教会での説教には、旬の話題を交えてさまざまな角度から繰り返し語ることで聖書への理解を深める効果があります。同様に、クリニックの理念をウェブサイトに記載するだけでは、スタッフに浸透しません。「〇〇はうちのクリニックの理念だから△△することが大切ですよね」などと、スタッフと話す時は事あるごとに理念を絡めながら伝えていくといいでしょう。

(2)部下に理念を語っても、上司の考えが曖昧なら浸透しない

A部長とは逆に、理念をうまく語れない上司にはまた別の問題があります。上記の研修を受講したB課長はプレゼンテーション演習でうまくしゃべれず、事前課題では部下も理念を語ることができませんでした。B課長は次のように反省点を語りました。「私自身、日常業務と理念がどうつながっているのか、頭の中で整理できていませんでした。だから私も部下も、うまくしゃべれなかったのだと思います」。このように上司の中で考えがまとまっていなければ、部下にいくら語る機会をつくっても浸透させるのは難しいのです。

クリニックの理念を浸透させる解決策3つの例

【解決策の例1】クリニックの理念を見直し、行動指針まで具体化する

まずはクリニックの理念がスタッフに浸透しているかどうかを知るために、上記事例と同じようにスタッフに理念を語ってもらってはいかがでしょうか。その内容が的外れであれば、院長から理念を説明する機会が足りない、あるいは説明内容に不足がある可能性があります。職場で理念を語っていないという自覚があるなら、機会を増やすことが先決です。

もし院長自身、理念の解釈が曖昧な状態であれば、5年後、10年後にどんなクリニックでありたいのか、そのために院長やスタッフがどんな行動を起こせばいいのか、一度じっくり考える機会をつくってみてください。ただし、「患者第一」といった漠然とした言葉だけでは具体性に欠けます。患者第一のために、例えば「お待たせしない」を徹底するならどんな行動が必要なのかブレイクダウンすることが肝要です。その上で、事あるごとにスタッフと共有してほしいと思います。

解決策の例2】クリニックの理念を語る自分を、他者目線で見直してみる

自分ではうまく理念を語れているつもりでも、要点がスタッフに伝わっているとは限りません。しかし、話し方のどこをどう直せばいいのか見当がつかないこともあるでしょう。そんなときに使える手軽な手段が、自分の話す姿を動画で自撮り・再生することです。スマートフォンを使い、3分程度で「当院の理念」をテーマに語る様子を録画してみてください。再生すると、意外とわかりにくい表現をしているなど、自分の話し方や内容の不備が一目瞭然となります。

解決策の例3】「クレドカード」を作り、理念がスタッフの目に入る機会を増やす

解決策1・2と並行し、理念を常にスタッフに見えるようにすることも重要です。一例として、「クレドカード」をスタッフに持たせてもいいでしょう。クレドは「約束」「信条」を意味するラテン語で、理念を具体的な行動に落とし込んだ行動指針のこと。それを名刺大くらいのカードにまとめたのがクレドカードです。

クレドカードはジョンソン・エンド・ジョンソンや楽天、ザ・リッツ・カールトンなど有名企業のほか、医療機関でも導入され、常に従業員が携帯して目にふれるようになっています。わざわざ携帯しなくても、カウンター内やバックヤードに掲示しても構いません。毎日見ていれば忘れることなく頭に入り、ふとしたときに「そういえば」と思い出しやすくなります

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最後に、理念がスタッフにうまく浸透したクリニックの事例も紹介しましょう。その歯科医院ではスタッフ3名とも、自分の言葉や体験を交えて理念を説明することができるといいます。40代の受付スタッフいわく、「院長からいつも聞かされているので、身にしみて覚えています。院長が理念をちゃんと実現しようとしているのがわかりますし、その姿勢も尊敬できるので長く勤めているんです」とのこと。

院長自ら理念への想いを度々口にすることで理念が浸透し、それによりスタッフは「それほど繰り返すくらい重要なんだな」と認識するようになり、退職率も非常に低い状態を維持しているそうです。

クリニックの理念は、院長がかみ砕いてスタッフに伝え、スタッフもきちんと語れるようになって初めて患者に伝わります。せっかくの理念が「絵に描いた餅」になっていないか改めて見直すとともに、理念実現に向けてスタッフと同じベクトルを向いて仕事できるよう、院長から語り続けてほしいと思います。

<執筆者プロフィール>
田中 美香(たなか・みか)
医療ジャーナリスト。出版社でヘルスケア系の書籍・雑誌の編集経験を積み、現在はフリーで活動。日経グループの健康情報サイトでドクターへの取材記事を毎月連載。研修会社で医療スタッフ教育に従事した経験を生かし、人材教育に特化した記事執筆も手がける。ライター業の傍ら、ビジネス文書講師として社会人や大学生への指導も行う。

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